目の前には、絶望しか見えなかった。




それ以外のものなんて・・・・













歪な色











意識を失ってどの位たったのだろうか。

目を開けたそこは、戦場では無かった。

何処ぞの邸のようだ。

私は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐く。

まだ体の節々が痛い。

悲鳴を上げている所から見て、そう長い時間は経っていないのだろう。

少しでも状況を把握しようとするが、激痛がそれを阻害する。


もどかしい。

私の体はそれ程軟だったか。

高が敵将一人の相手をして、これ程ボロボロになってしまうようなものだったのか。


鞭を打ちつつ、寝ている体を起こす。

あぁ本当に痛い。

起こした体を見て驚いた。

私が今身に纏っているのは、普通の着物ではない。

そこそこ値が張るものに違いない。

手触りなども、違っていた。

模様も、女であるなら一度は憧れるような、そんな着物。

何故私はこのような物を着ているのだろうか・・・・・

視線を着物から部屋に向ける。

やはり、というべきか。

着物が高級品なのだ。

この部屋を飾っている置物も、素人の目で見ても高価な物だと分かる。

部屋に意識の大半を向けていたが、外から聞こえてくる音。

雨が降っているようだ。

御簾を退けて、外を見ようと思ったが、一歩踏み出すだけで稲妻が体を走る。

くそっ。

思い通りに動かない体が、恨めしい。



見上げた空は、重々しい厚い雲に覆われ、太陽の光を閉ざしていた。

地に己の姿を移したくとも、行く手を塞がれ、何も出来ない。


八方塞。

まるで今の私のようだと、思う。





「あぁ、目が覚めましたか?」


「あなたが・・・・」



声のした方を向くと、そこには先ほどの戦で剣を交えた、あの男が立っていた。

何故、と続けずとも、この男ならば分かっているのだろう。

この男−平重衡も、私が思ったように私が続けようとした言葉を理解したようだ。



「ここは、私の邸なので、私が居るのですよ」


「あなたの・・・・?つまり、この邸は、平家の・・・?」


「えぇ」


「平家の邸に、何故、私が居るのだ・・・」



平家の邸。

たったその言葉だけで、私の頭は破裂しそうだった。

敵軍の邸に居るなど、普通考えられぬことだ。

何故、何故何故何故!

この男は一体何を考えているんだっ。

敵将を連れ帰るなど・・・・危険極まりない行為だ!

訳が分からない。

この男の思考回路など、読めるはずも、理解することも出来るはずがない。



「何が、目的だ。平重衡」


声が震えてしまっているのかもしれない。

それを、この男は笑っているのだろうか。

この男は笑っていた。

にっこりと音が付く様な、そんな人の良さそうな笑みを、浮かべ私を見る。

その顔が、私を逆撫でする。


何かを隠すかのように貼り付けられた笑み。



全ての元凶はこの男だ。

何も確証がないのに、それは確信だった。





「目的とは・・・・酷い言われ様ですね」


「それだけのことを、現にしているだろう」





重衡は柱に寄りかかり、こちらを見ている。

絡みつくような、嫌な視線だ。

こちらの内側まで、覗き込み、探ろうとする視線。

私の弱い部分まで見破られてしまいそうだ。





「やれやれ。仕方のない方だ」


「・・・・・・?」


「貴女は全てを知らなければ、気の済まない方のようだ」





重衡がこちらへと歩み寄ってくる。

その歩みはゆっくりとしていた。

どうしてだろうか。

この男との、今の距離を保たなければと頭は働くのに、体が言うことを聞いてくれない。

体が動かない理由。

分かったものじゃない。

単純なことだ。

意地か、怯えか。

私は分からないことに違和感を覚えず、理解しようとさえ、しなかった。

したくなかったのだ。

それが、この男に対する、最後の防衛線の様な気がしてならなかったからかもしれない。





「何が目的か、と言われましたね?」





思考の波から顔を上げると、重衡は目の前に居た。

相変わらず、その顔には信用なら無い笑みがあった。





「あぁ、敵将である私を捕らえるなど・・・・・・あぁ、もしや取引を申し出るつもりであったか?ならば無意味―」


「取引?そのような勿体の無いこと、しませんよ」


「もったいな―・・・・っ!」





重衡は私の髪を一房取り、優しく、初々しく口付ける。


愛しそう目を閉じ、苦しそうに柳眉を歪める。

一体この矛盾した表情は何なのだ。

何を思っているのか、考えたくも無かったが、考えずに居られるほど私は強くなど無い。


何を背負っているのか。

何を考えているのか。

何を思っているのか。


幾ら考えたところで、所詮私の解する所ではないと諦める。

とりあえず、重衡が掴んでいる私の髪を救おうと手を伸ばす。






























「 折 角 手 に 入 れ た の に 」

























まるで地を這うかの様な声。


背中を走り、何とも言えない感覚が私を襲う。


これは恐怖だ。


喰われる者としての、怯え。


独特の低さが、背中を通り越し、腰にまで響いてきた。

立っている事が難しい。





「!?」





伸ばした手は重衡に舞うように絡み取られ、私の目に入るのは、見慣れぬ天井と目の前に居る男。

立っている必要は、既に無くなっていた。





「貴女を一目見た時から、ずっと貴女が欲しかった。愛しかった」


「戦場で初めて会った女をか?」


「可笑しいと、思われますよね。えぇ、実際可笑しいのですよ」


「あなたは自分の言っている事の不可解さに気付いているのか?」


「ふふ、気付いていますよ。可笑しいのですが、その可笑しさを勝るものですから」





私に覆いかぶさってる重衡の髪が私の視界を遮る。



自分以外、見せぬかの様に。


雨音がいつの間にか消えていた。

雨雲が流れていき、月が顔を出す。







「美しい・・・・その髪も、肌も、瞳も、その声でさえ・・・・・・全てが欲しいんですよ。貴女の、全てが」





憎いこの男をこの場で殺そうとか、自害しようとか、そう思えなかった自分が憎く、妬ましかった。











あぁ、今宵は上弦の月か